姉小路氏城跡 古川城跡 小島城跡 野口城跡 向小島城跡 小鷹利城跡

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  • 古川城跡主郭(礎石建物跡)
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  • 向小島城跡主郭(南側切岸の土留め石垣)
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  • 小鷹利城跡 主郭(礎石建物跡)
  • 小鷹利城跡 畝状空堀群
  • 小鷹利城跡 出土遺物
名称 姉小路氏城跡 古川城跡 小島城跡 野口城跡 向小島城跡 小鷹利城跡
ふりがな あねがこうじししろあと ふるかわじょうあと こじまじょうあと のぐちじょうあと むかいこじまじょうあと こたかりじょうあと
指定区分
時代 室町時代
年代
種別 記念物 史跡 
員数 5ヶ所
大きさ・面積・様式等 857,234.61㎡
指定年月日 令和6年2月21日
地区 古川町
所在場所 飛騨市古川町高野字城山1458‐1 等
公開・非公開 公開
所有者 飛騨市 等
解説文 姉小路氏城跡は、古川盆地を取り囲む山地に点在する古川城跡・小島城跡・野口城跡・向小島城跡・小鷹利城跡という主要な5つの山城からなる。14世紀後葉に飛驒国司となり古川・小島・向(後に小鷹利)の三家に分立した姉小路氏が、中世飛驒国の中心地である古川盆地の、各々の拠点に築いた中世山城群である。平成30年度から令和2年度にかけて飛騨市教育委員会が実施した発掘・文献・測量・歴史地理調査によって、遺跡の実態が明らかになった。
古川城は盆地の南東部に位置し、古川氏の居城と伝わる。曲輪・土塁・竪堀等の遺構が存在し、調査では石垣をともなう虎口や礎石建物跡を発見した。小島城跡は盆地中部に位置し、小島氏の居城と伝わる。曲輪・堀切・竪堀等が存在し、調査で石垣や桝形虎口を発見した。さらに周辺の歴史地理調査によって、南部に金森氏の居城である増島城や高山城に類似する城下街区を推定した。野口城は盆地の北東端に位置する山城で曲輪・土塁・堀切・竪堀・畝状空堀群といった遺構が確認され、主郭の調査で掘立柱建物跡や柵列跡を発見した。城主に関する伝承は伝わっていないが、出土した遺物や峠方向への指向性のある構造から他の山城と同時期の使用が推定される。向小島城と小鷹利城は宮川左岸側の盆地西部に位置し、向氏の居城と伝わる。向小島城は向氏の拠点集落を見下ろす位置にあり、曲輪・堀切・畝状空堀群等の遺構が確認できる。盆地の外側である西側・南側を特に防衛上重視した構造で、主郭の調査で掘立柱建物跡や石垣を伴う切岸の造成状況を確認した。小鷹利城は盆地の北西端に位置し、古川盆地を出入りする湯峰峠を見下ろす。曲輪・土塁・堀切・畝状空堀群・横堀等の遺構が存在し、峠方向に向けた構造から「境目の城」としての構造が読み取れる。主郭の調査で礎石建物跡を発見し、居住性が高い時期があったことが想定された。
これらは飛騨国司家の姉小路氏が築き、その後16世紀前半に古川盆地へ進出する三木氏や、天正13年(1582)に飛驒に侵攻する金森氏の手による改修の跡も良好に残る。良好な遺構の残存状況に加え、山城の構造や変遷から、飛驒地域の歴史的変遷を読み解くことができる。中世飛驒国の変遷過程を物語る山城群と言える。
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