柏原古墳と大松

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名称 柏原古墳と大松
ふりがな かしはらこふんとおおまつ
指定区分
時代
年代
種別 記念物 史跡 
員数 1ヶ所
大きさ・面積・様式等 〈柏原古墳〉 竪穴式石室か 〈古墳上の大松〉 幹回り3.6m、高さ14.5m、枝張り東西21.3m、南北22.7m
指定年月日 昭和33年10月10日
地区 神岡町
所在場所 神岡町柏原
公開・非公開 公開
所有者 個人
解説文 〈柏原古墳〉
調査カードによると、紀元300年から600年ころの古墳文化時代末期の竪穴式古墳とされている。神岡町で古墳の可能性が指摘されているものは、現在のところこの柏原古墳のみである。
付近から御物石器(誕生石)、縄文期の石器、土器も出土しており、相当古くから展けた部落と思われる。昭和29年、国学院大学樋口清之教授の踏査によれば、あまり身分の高くない人を葬ったものと断定された。

〈古墳上の大松〉
幹回り3.6m、高さ14.5m、枝張り東西21.3m、南北22.7m。
一名千年松とも呼ばれる。樹齢およそ300年。

所有者は柏原では最も古くから住んでおり、元は白山神社の前に居住していた。墓碑銘で判明する最も古いものは、天文五天十二月九日と刻した自然石(柏原石)である。他は安永、天明、文化などがある。また、かっては墓碑としたと思われる数個の自然石が一か所に推積されている。
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