| 名称 | 増島城跡 |
|---|---|
| ふりがな | ますしまじょうあと |
| 指定区分 | 県 |
| 時代 | 室町~江戸時代 |
| 年代 | |
| 種別 | 記念物 史跡 |
| 員数 | 1ヶ所 |
| 大きさ・面積・様式等 | |
| 指定年月日 | 昭和34年11月16日 |
| 地区 | 古川町 |
| 所在場所 |
古川町上気多1297 |
| 公開・非公開 | 公開 |
| 所有者 | 気多若宮神社 |
| 解説文 | 金森長近の養子・可重が築いた。築城年月は定かではないが、天正17(1589)年に古川城下商人町の掟を定めていることから、この頃までにはほぼ完成していたと思われる。 一国一城令で古川旅館となっていたが、元禄8(1695)年の高山城破却の時、同様に城塁を壊された。 「古川のむかしの話」に「増島天満神社の沿革」「お蔵稲成の由来」「増島城・川の魚・大火後の建物」が載っている。天正17年の掟は、「古川町史料編一」に「金森荷重商町定書」として載っている。 現在は、本丸櫓跡の石垣と濠の一部が残っており、「増島天満神社」と「御蔵稲成神社」(幕府御用米を兼ねた米蔵に祀られていた)が建っている。 |