飛騨市では、姉小路氏に関連する5つの山城(古川城跡・小島城跡・野口城跡・向小島城跡・小鷹利城跡)の史跡指定を目指し、今年度より、古川城跡と小島城跡の発掘調査を実施しています。成果を広くお知らせするため、現地説明会を開催します。
【現地説明会】 |
日 時 : 平成30年12月1日(土) (雨天決行) 駐車可能な時間は、9:00~12:00 の間となりますのでご注意ください。 駐車場から古川城跡の調査現場まで山道を徒歩15分ほどです。 2.小島城跡:13時30分~14時30分 駐車可能な時間は、12:30~15:30 の間となりますのでご注意ください。 駐車場から小島城跡の調査現場まで山道を徒歩30分ほどです。 |
【今回の調査成果の概要】
古川城跡・小島城跡の虎口(城の入り口)で巨石を用いた石垣、古川城跡で
天守の可能性がある5間×4間の礎石建物を発見しました!
これらは安土桃山時代に、金森氏が改修した痕跡と考えられ、
増島城跡を築くまでの間、この2つの山城を使っていたことが証明されました。
一方、飛騨国司姉小路氏が使用したと考えられる「かわらけ」(当時の酒器)も出土。
山城でも饗応の場を設けてお酒を嗜んだと考えられました。
このように発掘調査で、姉小路氏段階のかわらけ・金森段階の石垣が見つかったことにより、
初めて飛騨国司姉小路氏関連の山城の実態が明らかになりました。
ただし、建物の規模や遺物の年代など今後の検討で変わる可能性もあり、
飛驒市では引き続き調査を継続していきます。
中井均氏(滋賀県立大学教授・姉小路氏城館跡調査指導委員会 委員長)のコメント
古川城跡の主郭で礎石建物が、また虎口で巨石を用いた石垣が検出された。これは金森長近による改修と考えて問題ない。主郭の礎石建物は天守と考えられ、秀吉の統一政権としての領土拡大のための象徴的な建物であったのだろう。 今回の調査により、金森長近が飛驒国司姉小路氏の居城である古川城に一旦入り、石垣を築き、天守を造営するなど大改修し、新たな支配者であることを領民に示し、その後に増島城を造って移ったと分かった。 織豊政権(織田信長・豊臣秀吉の時代)にとって新たな領土支配に城郭がいかに重要であったかを示す、全国的にも貴重な事例と言える。 |